4月1日に新元号が政府から発表されるということで、日本全国注目が集まっていました。
そして当日発表された新たな元号が「令和」で、インターネットなどでは響きがいいなど好評価を得ていました。
多くの人が号外をもらいたいと集まっているのが、ニュースなどで見かけることも多かったですね。
そんな中で5月1日より新元号となる令和は、万葉集32首の中から引用しているという情報が政府からも発表されています。
しかし、万葉集は学校で存在程度しか知らないという人が多いのです。
そこで万葉集32首や令和の元になっているシチュエーションなどを見ていきます。
万葉集32首って何?
そもそも万葉集というのは全20巻から構成されていて、その中には4500首の歌が収録されていると言われています。
それぞれの歌を見ていくとカテゴリー分けをされていて、雑歌や挽歌などに分かれています。
また章題もそれぞれついていて、読みやすい構成になっています。
そして令和の語源にもなっている万葉集32首というのは大伴旅人という、当時活躍していた歌人が詠んだといわれている梅花の歌32首が該当しています。
梅花の歌の正式な表題にもなっていますが、32首全てを見ていくと時間が非常にかかるほど膨大な量となっています。
それぞれの内容はインターネットで抜粋しているケースもあれば、書籍で販売もされています。
最近では分かりやすい内容に要約されて提供されているので、より分かりやすい内容になっています。
令和という元号が発表されてから品切れ状態になっているほど人気を集めているので、一度手にとって確認してみるのもいいでしょう。
令和の元となった「初春の・・・」の歌の意味は?
令和を含んでいる部分を梅花の歌32首よりみていくと、序文に掲載されています。
「初春の令月にして~」という箇所が該当しますが、ニュースやインターネット上などで要約して紹介しているケースが多々出てきています。
現代語訳に内容を訳していくと、西暦730年2月に太宰府の長官である大伴旅人の家で宴が開かれていました。
それは梅花の宴といわれており、初春のいい時期に穏やかな雰囲気の中で梅花や蘭の花が装飾品のように彩りを添えていました。
それだけでなく夜明けだと峰の方で雲が動いていたり、傘を傾けたように松は薄い絹をかけたような状態になっています。
そして一同はリラックスした状態で楽しく過ごしており、ここで庭の梅を見ながら短歌をそれぞれ作ってみようと試みている様子を掲載しています。
この歌が詠まれた場所はどこ?シチュエーションは?
今回の令和の元になった序文の歌は大伴旅人の家で詠まれたと考えられており、梅花の宴として31人の客を招いて梅の花に関して読み比べるシチュエーションの中で詠まれたと考えられています。
主人以外にも客人も1首ずつそれぞれ詠んでいたため、合計で32首となったと考えられています。
宴が始まる時の状況を述べており、いわゆる前置きとして書かれています。
まとめ
令和の意味合いは初春を感じさせる爽やかな内容であり、新たな夜明けから書かれている万葉集内の梅花の歌32首より引用している点を見ていくと、今後の日本を象徴する言葉ともいえるでしょう。
より平和な時代を期待できるように、令和は決められていったという印象もあります。
そして万葉集を一度改めて勉強する、いい機会にもしてみるといいでしょう。